桜が花見の主役になったのは平安時代

さくらマルシェ 花見

花見と言えば「桜の花」ですが、日本には桜以外の花がたくさんあるのに、なぜ「桜の花」なのでしょうか。

はじまりは奈良時代の梅

花見は、奈良時代(710年-794年)に貴族の行事としてはじまったと言われています。このときは中国から伝来されたばかりの梅が花見の主役でした。これが平安時代(794年-1185年)に、梅から桜へ代わりました。

平安時代に桜が花見の主役に躍り出る

平安初期の歴史書「日本後記」(にほんこうき)には、嵯峨天皇(さがてんのう)が812年3月28日に京都の神泉苑(しんせんえん)にて「花宴の節(せち)」を催したとあります。これが記録に残っている最初の花見と考えられています。嵯峨天皇は桜が好きだったことと「花宴の節」が桜の時期であることから「花見=桜」となったわけです。桜の花見は、貴族の間で流行り、宮中での天皇行事にも取り入れられました。また、桜は平安時代の庭造りの必需品にもなりました。

江戸時代になると、庶民の間にも花見が広まり、桜の品種改良も行われるようになりました。

桜が全国へ広がる

荒川の花見

江戸時代から一転、明治時代には桜が植えられていた庭園や大名屋敷は次々と取り壊されて桜も焚き木とされ、江戸時代に改良された多くの品種も絶滅の危機に瀕しました。このとき、駒込の植木職人・高木孫右衛門は桜を集めて自宅の庭に移植して84の品種を守ったことで桜が救われることになります。その後、78種が植栽された荒川の桜は各地の研究施設に移植されて品種の保存が行なわれ、全国へ広がることになります。

現在、花見と言えば、桜の花以外には梅と桃がありますが、このような歴史から花見の主役は桜なのです。

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